ナス×kodomo
日本で馴染みのあるナスといえば、まず紫色を思い浮かべますね。
この紫色って?
ナスの皮が紫色をしているのはアントシアニンという色素によるもので、主にはナス特有のナスニンと呼ばれる成分です。
アントシアニンには抗酸化作用があります。
抗酸化作用というのは、様々な生活習慣病を引き起こす原因になるとされる活性酸素を消去する作用のことです。
ナスのようなアントシアニンを含む食品を摂取することは、多くの病気の予防の第一歩として期待されてます。
アントシアニンは、水に溶けやすいという特徴があるため、ナスを茹でてしまうと水中に溶け出してしまいます。
調理する時には、揚げるもしくは炒めると効率的に摂取することができます。
古くから育てられてきたナスは日本全国に広まり、それぞれ各地の特産品になりました。
東北の仙台長ナス、山形の民田ナス、京都の賀茂ナス、大阪泉州の水ナス、九州の大長ナスなどが有名ですね。
仙台長ナスは、東北で栽培されている長ナスの一種。
先の尖った黒紫色の仙台長ナスの漬物は、仙台の名産品としてよく知られています。
『日本の野菜文化史辞典』(青葉 高 著)の中で著者は、仙台長ナスが、長ナス地帯である九州から離れた東北地方において、栽培されてきた理由を、言い伝えをもとに記しています。
「仙台長茄は豊臣秀吉の朝鮮戦役の際、伊達藩の武士が博多から持ち帰ったものと言い伝えられ、この言い伝えはナスの特性からみても正しいものであろう。」
『日本の野菜文化史辞典』(青葉 高 著)
人(武士)が別の地域に赴くことによって、九州から遠く離れた東北地方へ品種が伝わるというエピソードはとても面白いですね。
人が移動することで、新たな植物が伝えられるというエピソードは、大航海時代にもみられます。胡椒や綿花を持ち帰ることで、大きな産業にも発展してきました。コロンブスが中南米から唐辛子を持ち帰った話は有名ですね。
キュー・ガーデンの礎を築いたことで知られるジョセフ・バンクス(1743-1820)は、大西洋から南米ブラジル、太平洋の島々を経てオーストラリアに至る航海に科学班として参加し、3,600種3万点を超える植物標本を本国イギリスへ持ち帰りました。
その内の1,400種は西洋の科学者には全く新しいもので、帰国当時センセーションを巻き起こしたといいます。
『バンクス花譜集』は、採取した植物標本と、現地で画家に描かせたドローイングをもとに制作されました。
残念ながら様々な事情から、バンクスの生前には出版には至らなかったわけですが、200年以上の時を経て出版され、743点に及ぶ美しい銅版画を見ることができます。
バンクスが持ち帰った大量の資料によって、本国にセンセーションを起こしたように、新たな植物を手に入れることは、大変なステータスを得るものでした。写真のなかった時代、人々は絵という形で記録し、伝えました。
植物や生き物などを組み合わせて描く寄せ絵で知られるジュゼッペ・アルチンボルドの代表作である2つの連作『四季』と『四大元素』は、そのような貴族の権威を表すものとして描かれたといいます。
4枚ひと組からなる2つの連作『四季』と『四大元素』は、様々な動植物や文明品が組み合わさって、寄せ絵として表現されています。この2つの連作は、皇帝マクシミリアン2世に献上されました。
自然科学に強い関心を寄せていたマクシミリアン2世や息子は、宮廷内に動物園や植物園を設け、コレクションルームを構えました。当時宮廷画家だったアルチンボルドは、そこへ自由に出入りすることを認められていたようです。当時まだ希少だった新大陸から入ってきたナスが描かれるなど、そこでの得た経験が、2つの連作に繋がりました。
当時の王侯貴族の間で流行した、珍しい自然物の収集は彼らにとって世界を手中に収めることを意味していたようです。
”世界を手中に収める”というほどではないと思いますが、日本でナスが地方に広がった要因として、このような考え方と無関係ではないかもしれません。
江戸時代ナスは大変貴重もので、大名同士で贈り合っていたといいます。
「一富士、二鷹、三茄子」は、徳川家のお膝元であった駿河の国で「高いもの」を並べたもので、富士山、愛鷹山に並べるられるほど初物のナスは高価なものということを表しています。
希少性の高いナスを手に入れることは、一種のステータスになっていたのかもしれません。
ナスの促成栽培や一代雑種、在来品種については、またの機会に触れたいと思います。
tsutsu farm
所在地: 安芸高田市向原町
instagram: @tsutsu_farm
tsutsu farmは、
向原町にて、西洋野菜や伝統野菜を栽培しています。
農薬/化学肥料は使わず、
不耕起栽培や無肥料での栽培等、
実験的に栽培法を取り入れ、生産しています。
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